「牛の首」という世にも恐ろしい話が存在するが、内容をご存知の方はいるだろうか?
この話を学生時代に聞き、大きな衝撃を受けた。
この話の存在を教えてくれたのは筆者の友人なのだが、彼はこのように語った。
「これは本当に恐ろしい話なんだ。どのぐらい恐ろしいかというと、これを聞いた者はあまりの恐怖に3日以内に死ぬと言われている。だから、語るのを禁じられている話なんだ」
怪談・奇談は昔から筆者の大好物である。筆者は友人が語り始めるのを待った。
しかし、友人はいっこうに話を始めない。筆者はたまりかねて友人をせっついた。
「おい、早く話してくれ」
すると友人はこのように語った。
「この話を聞いた者は必ず死んでしまうんだ。話を聞いた人間は次々と死んでしまい、今となっては知っている者は誰もいない話なんだ」
つまり、「牛の首」は永遠に語ることができなくなった怪談だというのだ。
実は「牛の首」は元から話の中身が存在しない怪談なのである。
中身が存在しないため、本来は全く恐ろしく無い話なのだが、死ぬほど怖い話と言われながらも話の中身が分からないため、「得体の知れない恐怖」だけが増幅される。
「牛の首」は元々は1960年代に出版業界で語られていたものだと言われている。
つまり、半世紀も前から存在する話なのだが、実はこの話が広まった過程には、都市伝説の伝播に関する興味深いテーマが隠れている。
そのことを説明するために、実際に起きた2つの事例を紹介しておこう。
ひとつ目は植民地支配時代のインドの話である。
当時インドを支配していたイギリスは「大英帝国」と呼ばれた覇権国であったが、ある爬虫類の存在に悩まされていた。
それはコブラである。コブラはご存知の通り強力な神経毒を有する毒蛇だが、当時のインドではこのコブラが人の密集する首都のデリーで大量に出没していたのである。
そこで、イギリス政府はコブラの死骸に賞金をかけた。すると、たちまちコブラの駆除が進んだ。
だが、そのうち賞金目当てでコブラを養殖する輩が出てきてしまうようになった。
これに気づいた政府は賞金制度は廃止した。すると、金にならなくなったコブラは野に放たれてしまった。
その結果、コブラによる被害は賞金をかける前以上に増加するようになった。
このことは「コブラ効果」と呼ばれ、規制をかけることで、その目的とは逆の結果を引き起こす例として記憶されることになる。
この「コブラ効果」は現在頻繁に起きている現象でもある。
それを端的に表すのが、バーバラ・ストライサンドという女性の身に起きた事件である。
彼女は映画女優・歌手・映画監督など多彩な才能を持つ、アメリカのエンターテイメント界の大物なのだが、2003年にある裁判を起こした。
それは、環境保護団体がカリフォルニアの海岸線を撮影した写真に、彼女の別荘が写っており、プライバシーの侵害にあたるため、写真の削除と慰謝料を求めたものであった。
だが、裁判はストライサイドの敗訴となった。
さらに、彼女が裁判を起こしたのは、別荘の場所を公にしたくないというものであったが、裁判をおこしたことで逆に多くの人々が興味を持ってしまい、ウェブ上に存在する彼女の邸宅が写った写真は、40万アクセスを越える観覧数となり、多くの人がその場所を知る結果となってしまったのだ。
ここでも、規制をかけようとしたことで、逆の結果が起きるという「コブラ効果」が起きてしまったのである。
この事件は「ストライサンド効果」と呼ばれ、「コブラ効果」の現代版の事例として記憶されることになった。
現在はインターネット社会であるため、情報は以前と比べものにならないほど早く広く伝播する。
規制という情報も同様に広く伝播し、規制をかけようとした問題そのものにも多くの注目が集まってしまうのである。
「ストライサンド効果」はIT企業のセキュリティ分野などでも注意すべき事例としてあげられるている。
ソフトの違法使用などに警告文の公開などで対抗しようとすると、違法使用できることが明らかになり、逆に違法使用者が増えてしまうのだ。
冒頭で記した「牛の首」も「コブラ効果」や「ストライサンド効果」と同様の形で広まった都市伝説である。
「聞いたら死ぬ」という規制がかけられることで、逆に多くの人々の興味を惹き、中身が無いため本来怖くないはずの話が都市伝説として広まって行ったのである。
また、死という概念事態も多くの興味をあつめる要素であるだろう。
生物にとって死は最も避けるべき事態であり、それは最も強い規制とも言える。
それに人は危険なものほど、知っておきたい・把握しておきたいという防衛本能からくる興味が湧くとも言われている。
このように、本能に根ざした強い興味すら湧かせるため、「牛の首」は話の中身がなくとも広まっていったのだとも考えられるのだ。
こうした「規制による伝播」で効果的に広まった都市伝説は他にも存在する。
近年の代表的なもののひとつに、2ちゃんねるで生まれた都市伝説「鮫島事件」がある。
「鮫島事件」も中身の無い話であったが、都市伝説の成立過程が可視化されたという意味で興味深い事例となっている。
2001年、2ちゃんねるに『伝説の「鮫島スレ」について語ろう』というスレッドが立てられ、以下のような書き込みから始まったとされている。
"ここはラウンジでは半ば伝説となった「鮫島スレ」について語るスレッドです。
知らない方も多いと思いますが、2ちゃんねる歴が長い方は覚えてる人も多いと思います。
かくいう俺も「鮫島スレ」を見てから2ちゃんねるにはまったひとりでして、あれを見たときのショックは今でも覚えています。
誰かあのスレ保存してる人いますか?”
以降、同スレッド内では「あれはタブーだから触れるな」「死者を出すつもりか?」「あの事件には公安が絡んでいる」などの書き込みが見られるようになり、あたかも事件の内容を知る人々が存在し、語る事で不測の自体が起きることが臭わされた。
スレッドは盛り上がっていき、さらに扇情的な以下のような書き込みまで見られるようになった。
"これは、稀有な事件である。
二十年近い日本ネット史の中で、ここまで悪意に満ち、陰湿で、且つ巧妙な――まさしく悪魔的頭脳と言うべきものが生み出した――事件を、寡聞にして、わたしは知らない。
正直、この文章を書いていて恐ろしく気分が悪い。吐いても、吐いても、苦い唾がこみあげてくる。すべて忘れてしまいたいというのが率直な感想だ。”
"この世には、本物のタブーが存在する。
誰も手を触れることの出来ない、不可触領域は確かに存在するのだ。
わたしは、わたしの命を、この事件を語ることにかけることにした。
いまこそ語ろう。
あの、忌まわしい、鮫島事件について。”
もちろん中身は存在しないため、内容が語られる事はなかった。
それでも同スレッドは大いに盛り上がり、事件のタブー性だけが増して行った。そして遂には都市伝説となったのである。
そのきっかけのひとつとなったのは、スレッドの初期に書かれた事件をタブー視するような書き込みである。
実はこうした煽り要素のある書き込みを最初に行ったのは、スレッド主本人だと言われている。
このことはスレッド主と思われる人間が告白しているのだが、ネタとして書いたものがここまで盛り上がるとは思っていなかったのだという。
単なるネタして存在していたものが、そのネタに乗った人々によって雰囲気が醸成されていき、都市伝説化する。
これは都市伝説の発生とその広まりの典型的なパターンとも言えるものだが、それがネットの掲示板で行われたため、過程が可視化されたという点は、インターネットが網羅された現代社会特有の現象だとも言えるだろう。
他にも、同様のパターンで伝播したと思われる話に、「田中河之助の最後」という明治・大正期の怪談も存在する。
“語ると不幸が訪れる”とされる怪談である。
だが、この話は「牛の首」や「鮫島事件」とは違い、背景となった実在の事件が存在する。