日本の国民的なアニメ「ドラえもん」。本作はもはや世界レベルで愛されている作品といえよう。
国際的な基準で考えた場合、「ドラえもん」は「サザエさん」より認知度が高いのではないだろうか。
以前、「サザエさん」の最終回にまつわる様々な都市伝説を紹介したが、「ドラえもん」も最終回に関する都市伝説が数多く存在する作品である。
80年代に流布された噂には、こんな内容のものがあった。
かなり衝撃的な内容なので、聞いたことのある読者も多いのではないだろうか。
実は「ドラえもん」のストーリーとは、交通事故で植物人間になってしまったのび太が、病院のベッドで見ている永い夢であったというものである。
家族や友人たちの懸命な看病により、奇跡的に覚醒したのび太。
見渡すとしずかちゃんやスネ夫、ジャイアン、両親の姿があるのだが、ドラえもんの姿は何処にもない。
ふとベットを見ると、枕元には、ドラえもんそっくりのぬいぐるみが置いてあった。
俗にいう夢オチであるが、なかなか泣かせる話である。
この話は当時、全国の学生たちの間で瞬く間に広がることになった。
他にもこの話が変化したと思われる亜流バージョンもある。
ある日、のび太が交通事故に巻き込まれてしまう。
のび太は今にも命が危ない重篤状態であり、両親とドラえもんは回復を祈った。
だが、不幸は重なり、緊急手術の際に病院が突如停電になってしまう。
このままでは手術はおろか、命を維持することすら危うい状況であった。
のび太の命を助けるために、ドラえもんは全エネルギーをのび太に注入し、自らの機能を停止してしまう。
生還したのび太が見たものは、動かなくなったドラえもんであった。という話である。
「ドラえもん」の、のび太に対する献身ぶりには思わず目頭が熱くなるが、この話には続きもある。
のび太は動かなくなったドラえもんを抱きしめ、泣きながらドラえもんの名前を呼ぶ。
その時、のび太が流した涙がドラえもんの顔に落ちた。
するとドラえもんが復活したのである。
こうしてハッピーエンドとなり、物語は幕を閉じる。
90年代に流布された都市伝説では、のび太が奮闘するバージョンも存在する。
ある日、ドラえもんが機能を停止し、動かなくなってしまう。
修理方法がわからず、のび太は未来からドラえもんの妹・ドラミちゃんを呼んで診断してもらうことにした。
ドラミちゃんの診断によると、ドラえもんはバッテリー切れにより動かなくなったことが判明する。
バッテリーを替えれば動き出すのだが、これには問題があった。
今までのび太と築きあげてきた思い出も消えてしまうというのだ。
思い出を残したまま、ドラえもんを修理するにはドラえもんの開発者本人にお願いするしかない。
だが、未来の日本ではドラえもんの開発者は極秘事項になっており、誰だがわからないという。
この状況に一念発起したのび太は、自らドラえもんを修理することを決心する。
勉強を怠けてきた今までの生活とはうって変わり、のびたは猛勉強に明け暮れる日々を送る。
そうした生活が数十年続き、遂にのび太は見事ドラえもんを修理することに成功するのである。
つまり、トップシークレットだったドラえもんの開発者とは、のび太本人だったのだ。
この話を思い出す度に、涙があふれてくるのは筆者だけであろうか。
この、のび太が自ら「ドラえもん」を修理するという最終回は、ある個人が生み出した創作であったが、チェーンメールや掲示板の書き込みで流布され広がっていった。
この創作であった最終回が思わぬ事態を引き起こす。
田嶋・T・安恵氏という漫画家が、この都市伝説上の最終回を同人誌として発売し、約1万5千部が制作され、その内およそ1万3000部が実売されたのだ。
この同人誌はA5オフセット版の全20ページで構成されたもので、表紙はオリジナルの小学館てんとう虫コミックスを意識して作られた本格的なものであった。
しかし、この完成度の高さが災いした。
この同人誌を読んだ読者が「ドラえもん」の正式な最終回だと思い込み、小学館に問い合わせをする事態になったのだ。
この事態を重くみた小学館は、この田嶋・T・安恵氏なる人物に警告を送り、トラブルが表面化した。
田嶋氏は最終的に小学館と藤子プロに謝罪、同人誌販売で得た利益の返還と同人誌の回収という結果となったのだ。
皮肉なことにこの同人誌はネットオークションで出回っており、一冊数万円という高価なものになっている。
このように単なる漫画の最終回の都市伝説が、漫画作品のパロディ表現の法的限界というシリアルな問題に転化するとは、誰が予想したであろうか。
他にもドラえもんの最終回に関する噂は多数存在する。
たとえば、「自由に未来と現在を行き来するドラえもんが、タイムワープに関する違法行為で、時空警察に逮捕され、未来の警察に連行される」というものがある。
おそらくこれは、「小学4年生」1971年3月号に掲載された本物の最終回のひとつ(ドラえもんの本物の最終回は複数存在する)、「ドラえもん未来へ帰る」から派生したものだと思われる。
この話は、タイムトラベルが未来で法律で禁止されてしまい、ドラえもんがのび太の家から去ることになるという話なのだが、ドラえもんを連れ帰るのは、のび太の子孫であるセワシであり、タイムパトロールに逮捕されるわけではない。
前述の都市伝説はこれをもとに、タイムパトロールにドラえもんが逮捕されるという事件性に焦点を当てた都市伝説だったのではないだろうか。
ちなみに、本物の最終回が複数存在する「ドラえもん」だが、てんとう虫コミックスの6巻には、「さようならドラえもん」という、俗に「幻の最終回」と呼ばれる回が収録されている。
この話は、一時は本当の最終回であったが、続きが書かれたことで最終回では無くなった話なのだが、この話を「ドラえもん」全話の中でNO.1に押す人間も多い名作回である。
テレビなどでもたびたび紹介されているので、ご存知の方も多いと思うが、ドラえもんがいなくてもやっていけることを証明するため、永遠のいじめっこジャイアンにのび太が真っ向から対決を挑む、涙腺崩壊必死のお話である。
未見の方はぜひ読んでみることをおすすめしたい。
「ドラえもん」に様々な最終回の噂が存在するのは、実際に複数の最終回が存在するという特殊性に加え、やはり誰からも愛されるその普遍的な物語性が最大の要因だろう。
本当の最終回もそうだが、都市伝説で語られる「ドラえもん」の最終回も、概して、SF的な設定がなされている上、のび太とドラえもんの別れという泣ける状況のものが多い。
これは「ドラえもんは現実には存在しない」という子供たちの本能的な自覚から生まれているのではないだろうか。
ハイテクの機器を使い、時間を自由に移動する「ドラえもん」。その存在は夢多き子供時代の象徴でもある。
いつまでも、夢多き子供時代を送りたい(=「ドラえもん」と一緒にいたい)と願うが、現実にはいつしか大人社会の仲間入りをしなければならない時が訪れる。
こうしたドラえもんの最終回の噂は、いつか別れを告げなくてはならない「子供時代からの卒業」を「ドラえもんとの惜別」という形で表現したものだったのではないだろうか。
そして、この噂が我々大人の胸をも熱くさせるのは、あの懐かしい子供時代との別れを思い出させるからではないだろうか。