昭和に放送されたアニメのエンディングテーマは、何故暗いのか。これは筆者の永年の疑問であった。
仮説として筆者が考えているのは次のような推論である。
昭和30年代から昭和40年代にかけては、まだまだアニメの制作現場、テーマソングの作詞者・作曲者や声優たちに戦争経験者が多くいた。
彼らは常にこう自問自答していたのではないだろうか。
「自由に漫画や曲が描けない時代があった、多くの仲間が戦地や空襲で死んでいった中、戦争も終わり、自分は今アニメや漫画に関わっている。これでいいのだろうか、死んだ仲間に申し訳ないのではないか?」
そんな彼らの中に芽生えた死への想い、戦争への恐怖の残像、それがエンディングテーマに反映されてはいないだろうか。
昭和41年生まれの筆者でさえ、防空壕で遊び、街中では年老いた傷痍軍人を見ている。
当時は戦争が終ってから20数年しかたってない状態であり、日本のあちこちに戦争の傷跡があった。
子供の筆者でさえこうである。当時の大人たちの心の奥底に戦争への恐怖の記憶と残像が残っていても不思議ではない。
平和な日本を体感しながらも、深層心理の中には、深く刻まれた戦争があったのではないか。
かの手塚治虫は戦争が終わり、ようやく自由に漫画が描けると思ったという。
これは漫画やアニメに関わった昭和を生きた日本人の共通の想いではないだろうか。
戦争とアニメと言えば「レインボーマン」が忘れられない。
特撮番組だが、コミック化もされており、子供たちに人気の高い番組であった。
このレインボーマンの挿入歌が凄い。
敵役の秘密結社「死ね死ね団」の歌で、「死ね死ね団のテーマ」という歌があるのだが、これが日本人への敵意をむき出しにしており、かなり危険な歌詞なのだ。
「しね!しね!しねしねしねしねしんじまえ~」というフレーズから始まり、
「日本人は邪魔っけだ!」「黄色い猿めをやっつけろ」「地球の外へ放り出せ!」など相当に過激な言葉が並ぶ。
そのあまりの過激さからこの挿入歌をエンディングテーマだと勘違いしている人間も多く、リアルタイムで見ていた少年少女たちに強烈なインパクトを与えた歌であった。
元々「死ね死ね団」自体、旧日本軍に身内を殺された遺族で結成されたテロ集団なのだが、あまりにも生々しい。
「レインボーマン」の原作は2008年に亡くなった川内康範なのだが、名曲「おふくろさん」を巡って、あの森進一とバトルを繰り広げるなど、88歳とは思えない迫力で最後の頑張りを見せたところなど、戦前派の気概を感じる人物であった。
また「タイガーマスク」のエンディングテーマ「みなし児のバラード」も凄い。
「強ければそれでいいんだ 力さえあればそれでいいんだ」というフレーズが登場し、戦災孤児になった主人公が孤児院を経て、虎の穴という悪役レスラーを養成する機関に入る心情を見事に表現している。
他にもアニメのエンディングテーマには様々な感情を喚起させるものがある。
「それではまた おたよりします」というフレーズが登場し、手紙形式になっていた「一休さん」のエンディングテーマ。
哲学的歌詞が味わい深かった「ガンバの冒険」や、「キャンデイキャンディ」などの心が洗われるような名曲も多かった。
またシュールな歌詞で子供心にインパクトを残したのが「元祖天才バカボン」のエンディングテーマである。
「枯葉散る白いテラス」「特別の愛でふるえて欲しいの」などアニメの内容とかけ離れた歌詞が並び、特に「四十一才の春だから」というくだりには中年の哀愁が漂っていた。
筆者も四十一才の春になった際には、「とうとうバカボンのパパと同い年になってしまった」と少々落ち込んでしまった。
子供の頃から見ているアニメのキャラクターの年齢を超えるのはショックであった。
「サザエさん」の年齢である28歳を超えた時もショックであったが、この時の傷は深かった。
数多いエンディングテーマの中でも名曲の呼び声たかいのが、「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマ『やつらの足音のバラード』(作詞:園山俊二、作曲:かまやつひろし)である。
地球の始まりから人類の誕生までを歌で表現しており、壮大な世界観が感じられるものであった。
軍歌調アニメソングとして知られるのが「エイトマン」であるが、このテーマソングを歌っていた歌手・克美しげるは殺人を犯した事がある。
現在は刑期を終えているが、ヒーロー物のテーマソングを歌っていた歌手が殺人を行った事実は、「エイトマン」世代に大きな衝撃を与えた。
アニメソングは時に視聴者に勘違いを起こさせる。
名作野球漫画「巨人の星」のテーマソングに「思い込んだら~」というフレーズがあるが、この歌詞を「重いコンダラ」と感違いしたものがいたという噂話しがある。
よく野球部の部員が巨大なローラーを引っ張ってグランドを整備している場面をみかけるが、このローラーの名称が「コンダラ」と思い込んだらしいのだ。
この話は今となっては都市伝説となっているが、元々関西のラジオ局・MBSで放送していた「ヤングタウン」の中で、谷村新司とばんばひろふみが担当していた曜日に来た投稿はがきが元になっているのだという。
アニメソングを歌っている歌手が人違いされた事もあった。
『戦闘メカ ザブングル』『キン肉マン』のテーマソングを張りのある声で歌っていた串田アキラだったが、名前を出さず富士サファリパークのCMソングを歌いだすと、「あの曲は、和田アキ子か松崎しげるが歌っているのではないか」と勘違いされることが多くなった。
意地悪なクイズ問題では「富士サファリパークのCMソングを歌っている歌手の名前をあげよ!ヒントは○田アキ○」と出題され、回答者のほとんどが和田アキ子と回答したという。
また歌手の井上 大輔は、劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの主題歌「哀・戦士」(第2作)「めぐりあい」(第3作)という二曲の名曲を歌ったが、これは日大芸術学部の同級生である富野由悠季監督の頼みで引き受けたものである。
井上のコメントによると「哀・戦士」(第2作)は映画を見ないで作ったらしく、その事を富野に言うと嫌な表情をしたので、「めぐりあい」(第3作)はしっかり作品を鑑賞した上で作曲したという。
結局、井上は自殺してしまうのだが、これらの名曲は永遠に語り継がれるであろう。
劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの第一作目のテーマソングは、「砂の十字架」という作品であるが、これは作詞・作曲谷村新司、歌やしきたかじんという豪華な布陣で生み出された曲であった。
これまた名曲なのだが、やしきたかじん本人は「ガンダムのテーマソングを唄ったのは、自分にとって一生の恥や」と広言してはばからない。
因みに、「アニソン四天王」と言えば「大杉久美子」「ささきいさお」「堀江美都子」「水木一郎」なのだが、その中のアニソンの兄貴・ささきいさおがアニソンデビュー曲したきっかけは意外なものであった。
声優であったささきいさおは、ガッチャマンのコンドルのジョーの担当声優で、その年の忘年会にて、カラオケを披露したところ、あまりの上手さに次回作の主題歌を歌うことが決まったという。
忘年会のカラオケ大会と言えども、侮る事はできない。
またとんでもない文学界のビックネームもアニメソングの作詞をしている。
手塚治虫の「鉄腕アトム」のテーマソングの歌詞を作詞したのは、世界的に有名な現代詩人の大御所・谷川俊太郎であった。
あの勇壮かつ爽快な、歌うだけで未来に希望が持てる曲は谷川の歌詞の力であるのだ。
なお余談だが、谷川俊太郎は漫画のよき理解者であったらしく、スヌーピーとチャーリーブラウンのピーナッツシリーズの翻訳者でもある。
数年前に、「鉄腕アトム」のテーマソングは、中国語の歌詞に翻訳されて、サントリー烏龍茶のCMに採用された。
もはや、アニメソングの名作は国境さえも越えてしまうのだ。