『IT(イット)』という映画をご存知だろうか?
スティーブン・キングの小説を原作とする映画だが、強烈なインパクトを残す作品であった。
ペニーワイズと呼ばれる不気味なピエロの姿をした怪物が登場するのだが、ペニーワイズは子供を襲い、様々な不気味な現象を見せながら、最終的に惨殺してしまう存在である。
本作を子供時代に観て、「ピエロが恐ろしくなった」という人間を多く生んだキャラクターであった。
ピエロはサーカスなどで笑いを提供する存在だが、ピエロは時に恐怖の対象とも捉えられる存在である。
特にピエロが登場することも多い欧米では、「ピエロ恐怖症」という言葉が存在し、その姿を見ただけで無条件に恐怖感がこみ上げてくるという人も少なくない。
実際にカリフォルニア大学で心理学的な分析を行ったところ、調査を行ったほとんどの子供たちが多かれ少なかれピエロに対し恐怖感を持っていることが分かったのだという。
そんなピエロにまつわるこんな話がある。
1981年、子どもたちが遊んでいると、ピエロ姿の人物がふいに現れ、ワンボックスタイプの車に連れ込まれそうになるという事件が発生した。
同時期に似たような事件が全米のいたるところで発生した。
イリノイ州やニューヨーク州、マサチューセッツ州、、カンザス州など、アメリカの東部から中部にかけていう非常に広い地域で同様の報告が何件ももたらされた。
事件が起きた地域では、子どもたちを目に届くところに置くよう新聞で注意が促されるなど、異様な事態になった。
警察なども捜査を行ったが、結局犯人は捕まらなかった。
犯人が乗る車を追いかけた人物が車がふいに消えてしまったのを見たという話もあり、「ファントム・クラウン(幽霊ピエロ)」だとして恐れられるようになった。
時は経って2008年。イリノイ州で誘拐未遂事件が起きた。
学校から帰宅する子どもたちを標的とした事件であったが、注目を集めたのは目撃者たちの証言である。
犯人はピエロの姿をしていたというのだ。
この時も保護者たちに注意がよびかけられることになったが、結局犯人は捕まらなかった。
ファントム・クラウンが再び現れたとして注目を集めた。
この事件にはもうひとつ注目をあつめた事柄があった。
それは、前回の誘拐未遂事件から27年が経過した年に起きていたという点である。
冒頭で紹介した『IT』だが、本作に登場するペニーワイズは27年ごとに現れ、子どもたちを襲うとされているのだ。
まるで物語の内容をたどるような事件が起き、その不気味な関連性が人々の噂にのぼるようになり、様々な憶測を生むことになった。
現実との不気味なシンクロが噂された『IT』だが、本作には題材になったと考えられる、実際に起きたある恐ろしい事件が存在している。
それは「殺人ピエロ」と呼ばれたエドガー・ゲイシーが引き起こした一連の事件である。
ゲイシーの犯行はあまりに凄惨で、1970年代の終わりにアメリカを恐怖のどん底に突き落とした。
1978年12月、イリノイ州でドラッグストアに行くと言っていた15歳の少年が、消息を絶った。
警察が調べたところ、そのドラッグストアはジョン・ゲイシーという人物が経営している店であった。
調べて見ると、ゲイシーは地元の商工会議所のメンバーでもあり、時の大統領と握手する機会もあるほどの地元の名士であることがわかった。
だが、その一方で、たびたび少年に対する性的ないたずらで起訴されている経歴があることも判明した。
こうした事実が明らかになったため、ゲイシーへの捜査の手が伸びることになった。
ゲイシーには政治家とのつながりがあったため、警察の捜査はたびたび妨害された。
ようやく家宅捜索が行えるようになり、家の床板を剥がしてみると、捜査員たちは絶句することになった。
軒下から大量の人骨が発見されたのだ。
ゲイシーは男性ばかりを襲い、拷問や性的な暴行を行ったうえで殺害するという犯行をくりかえしていた。
その毒牙にかかり、殺害された人物は33人。その多くが未成年の少年たちだった。
ゲイシーには妻や子供もいたが(事件発覚のすこし前に離婚していた)、特に少年に対し異常なまでの性欲を覚える異常者だったのである。
ゲイシーはフライドチキンのチェーン店の経営や、建築業なども営んでいたが、そこで働く青年たちもターゲットになった。
ゲイシーはひどくケチで、たびたび従業員とも口論になった。
そうして経営者であるゲイシーに逆らった人間も標的となり、性的な暴行を加えられたうえに殺害されたのである。
裁判でゲイシーは精神異常を主張した。精神分析医が診断を行ったところ、確かに少年期に父親から虐待を受けていたため精神に異常があることや、幼いころに頭を強く打ったことがあり、脳自体にも異常があることもわかった。
そうした診断を受けたことから死刑か否かの審議には時間がかかったが、収監中に犯罪心理に興味があるとして面会に来た青年を監視の目を盗んで襲ったことから、結局は死刑になった。
ケイシーが「殺人ピエロ」と呼ばれたのは、パーティーなどで子どもたちを楽しませるためによくピエロの扮装をしていたためである。
つまり、ゲイシーはピエロの姿で子どもたちに笑顔を振りまきながら、標的を探していたのである。
保護者たちを中心として、公判中からゲイシーに対する死刑の請願が幾度も出されたが、保護者たちをそうした行動に駆り立てたのも無理のない話である。
当然、多くの子供達もピエロを怖がるようになった。
実は「ピエロ恐怖症」という言葉が生まれたのは、1980年代に入ってからであり、ゲイシーのおぞましい犯行が明らかになった直後のことであった。
つまり、ピエロと恐怖のイメージが明確に結びついたのはこの頃だと考えられるのだ。
また、学術的にもピエロの人相は「不気味の谷」と呼ばれる、人間の人相をデフォルメした時に起きる、視覚的な恐怖を連想させやすい顔だとも言われている。
元来、恐怖を想起させやすいピエロのビジュアルに恐ろしい殺人鬼のエピソードが加わったことで、ピエロに対する恐怖感が広まることになった。それがファントム・クラウンの都市伝説を生んだのではないだろうか。
ファントム・クラウンが現れたという2件の事件では共にイリノイ州で起きており、ゲイシーが犯行に及んだ現場もイリノイ州であった。
当地に残るピエロに対する恐怖が都市伝説として広まったと考えられそうだ。
ピエロ(道化師)という古くから存在するキャラクターの印象を決定付けてしまったのだから、ジョン・ゲイシーが社会に与えた影響の大きさがいかに大きなものであったのかがわかる。
ちなみに『IT』は、2011年に25周年の特別カバーの新装版もアメリカで発売されており、映画リメイクの企画も動いているという。
すでに古典とも呼べるほどの作品となりつつあるが、驚くべきは原作者であるスティーブン・キングの嗅覚である。
作品としての面白さももちろんのこと、ピエロを恐怖の対象としていち早く物語に落とし込んだその着眼点はさすがである。
やはり「ホラーの帝王」の異名は伊達ではない。