なんのために存在しているのかわからない意味不明なもの。それが都市伝説として様々な憶測を生みながら広まっていく事例がある。
ロシアのある地域で傍受できる一日中ブザー音を鳴らし続けているだけの謎の短波放送「UVB-76」、一時期都内のあちこちに貼られた力士の顔が重なったような不気味なデザインの「力士シール」などが例としてあげられるだろう。
1980年代から90年代後半にかけてのアメリカでも、意味不明な広告が非常に大きな注目を集めた事例がある。
それは、ロサンゼルスのビルの上に突如出現した「アンジェリンの看板」と呼ばれる広告看板である。
上に掲げた画像が「アンジェリンの看板」だが、ご覧のようにセクシーな女性の絵と「Angelyne」の文字、そして下の方に小さく電話番号が書かれているだけの意味不明な広告看板なのだ。
これではいったい何を告知しているのか皆目見当がつかない。
ビル看板の中にはそのビルに入っている会社名を表示しただけのものなどもあるが、この看板が設置されたビルには「Angelyne」などという会社は存在していない。
視点を広げ、付近を見てみても「Angelyne」という名の会社や店があるわけでもない。
この地域で暮らす人々は不思議な思いをしながら、ただ看板を見つめるしかなかった。
あまりに広告の依頼がないので、ビルの持ち主が酔狂で自分の好みのタイプの女性を描かせ掲示したものではないか、そんな憶測も呼んだが、どうもこれも違った。
なぜなら、ロサンゼルスのいたるところで「アンジェリンの看板」が設置されるようになったからだ。
ロサンゼルスの様々な場所に「アンジェリンの看板」が掲げられる様になると、今度は看板が設置が設置された付近に「ANGELIN」という名のストリップクラブのチェーン店でもできるのではないかという憶測ものぼったが、そんなチェーン店はありもしないし造られることもなかった。
この謎を解明出来る見込みがあるのは、この看板の唯一の意図であると思われる電話をかけてみることだけであった。
電話をかけてみると、自動音声が流れアンジェリンという女性のファンクラブが存在し費用は年20ドルであることが案内されるだけだった。
電話をかけた人も、受話器を置いてこう口に出してみるしかない。
「アンジェリンって誰だ?」
謎は解明されないまま、「アンジェリンの看板」はロサンゼルスだけでなく、ニューヨークやワシントンD.C.など他の大都市圏でも見られるようになった。
さらに「アンジェリン看板」の増殖は続く。アメリカ国内だけに留まらず、海をも渡った。
ドイツやイギリスなどのヨーロッパ圏にも現れ、あまり話題にならなかったようだが日本にも設置されたという。
驚くべきはその数で、ドイツだけで1500枚、総数はあまりに多く把握しきれないほどにのぼった。
そうなると気になってくるのが広告費用である。大きさはまちまちだが、巨大なものではひと月で数百万かかるものもある。
少なく見積もってもひと月に2億円以上の出費だと考えられた。
大企業が商品のプロモーションにかける費用にも匹敵する額である。
それだけの費用をかけておいて、用意されているのは誰も知りもしない女性個人のファンクラブの存在を知らせる告知だけ。
世界中に増え続ける「アンジェリン看板」の謎は深まるばかりだった。
こうなると憶測するしかない。様々な説が噂されるようになった。
大富豪の愛人説、莫大な費用をかけた金持ちの暇つぶし説、ロシアの諜報機関が使用している暗号説。
次第に現実離れした憶測が生まれていくなか、1995年になって謎に包まれていアンジェリンの人物象がはじめてメディアで紹介されることになった。
アンジェリンの秘書だという人物が電話取材に答え、彼女の経歴を語ったのだ。
アンジェリンはアイダホ州で生まれたが、わずか5歳の時に両親を亡くしてしまう。
成長した彼女はパンクバンドのボーカルを担当し、映画の脚本を書いたこともあった。
また、彼女は霊能力にも目覚めた。
死んだ人間と会話が出来るようで、ある時にマリリン・モンローからこう言われた。
「次のセックス・シンボルになるのはあなただわ」
このモンローのお告げに衝撃を受け、アンジェリンはなにをすべきか悟った。
つまり、広告看板を設置したのはマリリン・モンロー級のセックス・シンボルになるためだというのだ。
莫大な費用をかけ至る所に看板広告を設置した理由にしては、ぶっ飛び過ぎていて戸惑う話だ。
それだけの費用があるのなら、目的を遂げるやりようは他にいくらでもありそうなものである。
なぜ看板広告をつかったあんな不可解な方法なのか? それに彼女はどのようにして広告費用を捻出しているのか? それらの答えは得られなかった。
人物像はぼんやりと明らかになったものの、謎の核心は残されるままになった。
この頃、アンジェリンはロサンゼルスで人々に目撃されるようにもなった。
彼女のトレードマークであるピンクのコルベットは看板でも使われており、その車から降りる姿などを発見されるようになったのだ。
ネット上ではアンジェリンの目撃情報が飛び交い、様々な媒体でインタビューにも答える様にもなり、彼女の知名度は高まっていった。
ファンクラブの会員数は2万人にのぼり、「アンジェリンの看板」はハリウッド進出も果たす。
1995年の映画「ゲット・ショーティ」では主人公が「アンジェリンの看板」を見上げるシーンがあり、1997年の映画「ボルケーノ」では火山の噴火によって彼女の看板が吹き飛ばされる。
近年では2012年のミュージカル映画「ロック・オブ・エイジス」で、再現された80年代の町並みの中で「アンジェリンの看板」が登場している。
ここまでくると、「アンジェリンの看板」はもはやアメリカの町並みを象徴する景観のひとつだ。
アンジェリンは「ビルボード(看板広告)の女王」と呼ばれる様にもなった。
さらに、アンジェリンは2003年にカリフォルニア州の州知事選挙にも出馬し、俳優アーノルド・シュワルツェネッガーと選挙戦を争うことになった。
さすがに人気俳優には遠く及ばず、アンジェリンの得票数は2500票に留まり落選した。
ところで、広告費用の捻出方法や、不可解な看板広告を出した理由とはなんだったのか?
多くの媒体で同様の質問をうけているが、広告費用については「ファンクラブの会費やグッズ販売の収益、それに投資でまかなっている」と答えており、「大金持ちの後ろ盾がいるのでは?」という憶測を明確に否定している。
ファンクラブが2万人いるとしても年で4000万円の売上である。
グッズ販売を加えても、莫大な広告費用を捻出することは到底できない。
だとするとアンジェリンは相当にやり手の投資家なのだろうか?
いまだ明確な裏付けはなされていないようで、真実なのかどうかよく分かっていない。
看板広告を出した理由の方は、「大きいものが大好きだから!」などと答えており、まったく要領を得ない。
さらに、「成功の秘訣は?」と聞かれて「幽体離脱の経験を持つこと」と答えたり、質問の多いインタビュアーの手にいきなりピンを刺してみるなど、油断ならないエキセントリックすぎる発言や行動も多い。
彼女がセックス・シンボルになる夢を実現出来るのかどうかという点も気になる。
彼女の写真を見ると、確かにセクシーなお姿をしているものの、大分お年を召されているような・・・。
知名度を上げるには、あの不可解な看板広告では時間がかかり過ぎてしまったようだ。
実物の彼女の姿にご興味のある方は、ネットで「angelyne」と検索するとたくさん出てくるので、ぜひ探してもらいたい。
アンジェリンは存在自体がいまだつかみどころのない都市伝説のようで、結局のところその素性は謎のままだ。
だが、彼女は彼女流のやり方で「女王」と呼ばれる存在にまで上り詰めた人物であることだけは、間違いなく事実である。