ドラゴンボールの勝手な続編、「ドラゴンボールAF」を紹介したが、アニメや特撮の世界では、他にも勝手な続編が作られた作品が存在している。
その中には、明らかに商業作品として堂々と作られている続編もある。
「タイ版ウルトラマン」は、日本の円谷プロの知らぬところで、新シリーズが制作・公開されている。
これはタイの企業チャイヨー・プロダクション(代表ソムポート・セーンドゥアンチャーイ)が、1976年に円谷皐がソムポートと締結した不定期間の日本国外におけるウルトラマンの独占権に関する契約書を根拠に、海外でウルトラマンのグッズやショー、新作制作を展開した事から始まる。
そして、2006年にウルトラマンファンにとって衝撃的な事件が発生した。
6月から、チャイヨー・プロダクション制作の「新作のウルトラマン」が中国で放映されるとプレスリリースされたのだ。
その内容は天災により、人工が半減した地球を怪しい男たちが支配し、謎の怪獣たちが地球を襲うという設定であった。
このように「タイ版ウルトラマン」は、ヒーローのビジュアルとタイトルはウルトラマンであり、ストーリーはエヴァンゲリオンを連想させるものであったため、いろんな意味で日本のファンから注目を浴びた。
ネットでもそのプロモーションビデオが流された事があり、筆者も確認しているが、予想以上の完成度であった。
結局、この作品はタイのチャイヨー・プロダクションと、日本の円谷プロダクションとの裁判の影響もあり、制作が中止された。
ファンとして(怖いもの見たさとして)見てみたい気持ちもあっただけに、残念だという意見も出ていた。
ちなみに、2008年2月、タイの最高裁は、1976年に円谷皐がソムポートと締結した独占権に関する契約書が偽造であると認定し、円谷プロが勝利している。
だが、チャイヨー・プロダクションも負けずに、アユタヤでウルトラマン博物館を建設している。
何故、ここまでタイ人はウルトラマンに執着するのであろうか。
それは多くのウルトラマン愛好家の指摘する事なのだが、あのウルトラマンの一見、異常なビジュアルにあるのではないだろうか。
欧米の知人にウルトラマンを見せると、「このキャラクターは、本当に正義のヒーローなのか」と驚かれ、なかなか伝わらない事がある。
昨今ではウルトラマンのビジュアルも世界的に浸透したが、アルカイクスマイルを浮かべるウルトラマンのビジュアルはあまりにも仏像チックで、欧米人の価値観では正義の味方に見えないのである。
逆に仏教が盛んな日本やタイでは、無意識のうちにウルトラマンのビジュアルに安らぎを覚えてしまうのではないだろうか。
昭和のアニメ界に大きな足跡を残した世界名作アニメ劇場。
その中でも「アルプスの少女ハイジ」は特に人気が高い。
誰もが、クララが車椅子から立ち上がるシーンに感動したことがあるだろう。
なんとこの「アルプスの少女ハイジ」に続編が存在するのだ。
ペーターはどうなった?クララは?
昭和生まれの日本人なら胸が躍るのを抑えきれないであろう。
この続編は、「アルプスの少女ハイジ」の原作者のスイス人作家・ヨハンナ・シュピリとは違い、フレッド・ブローガー&マーク・ブローガーという二人の作家が執筆している。
二人は『ハイジの青春 アルプスを越えて』(堀内静子訳 早川書房 1990年8月)という作品を発表し、実写の映画にもなっているのだ。
この内容がまた凄い。クララのおばあさんが残した遺産のおかげでイタリアに留学し勉強する事になったハイジ。
一方、幼馴染みのペーター(なんと実写の映画版ではチャーリー・シーンがペーターに扮している。山羊を追っていたあのペーターがそこまでハンサムになるとは…)は軍隊に入隊する。
イタリアが戦争に突入し、学校は閉鎖になる。
生徒たちは続々と帰宅するが、ハイジは家族と連絡がつかず、イタリアの孤児院に避難させられる。
だが、そこでは孤児の虐待が行われていた。
逃げ出したハイジは、アルプスを越えておじいさんの待つスイスに向かう。
孤児院の追っ手が迫る中、ペーターもハイジの救出に向かう。
もの凄いアドベンチャーになっているではないか。
このように原作者の死後、違う作家によって作品が書き続けられていくことは多いが、ここまで世界観が違ってくると、もはや違う作品のような印象を受ける。
他にも勝手に続編を作られてしまう作品は多い。
「HUNTER×HUNTER」は同人誌によって続編が制作されているし、「妖怪人間」も勝手な続編の存在が都市伝説として噂されている。
「早く人間になりたい」と願った妖怪人間ベムたちだが、念願の人間になったものの、ストレスや過酷な労働、人間関係に悩み、べムたちが人間ライフに絶望してしまうという作品であった。
どうしても、その作品の続きが「読みたい」「見たい」、そんな読者の切実な気持ちが勝手な続編を生み出すのであろうか。
それゆえに名作、人気作ほど勝手(勿論、正式に許可をとっている作品も多いが…)に続編が作られる事が多い。
元々、我が国は江戸期から、歌舞伎、人形浄瑠璃、洒落本、黄表紙、合本などの物語において、模倣する習慣があった。
大ヒットした芝居の一場面を新作に加えたり、台詞や役名を継承したりすることで、よりよい新作の物語を作り出してきたのだ。
日本のストーリーテラーの中には、伝統的に先人の作品をオマージュし、既存の有名作品をリメイクする文化があったのだ。
先人が作った名作に、後輩たちが手を加え洗練させていく、それが一般的な感覚であった。
そういう視点から考えると日本において同人誌文化が発達し、続編が続々と作られるのは当然と言えば、当然かもしれない。