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杉沢村ー津山30人殺し事件

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杉沢村ー津山30人殺し事件

もう一つ影響を与えたのは、実際の事件である。

1938年に、岡山県津山市から北へ20キロ行った鳥取県との県境の山村で発生した「津山30人殺し事件」である。

同事件は、松本清張の『ミステリーの系譜』(中公文庫)、筑波昭の『津山三十人殺し-村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(草思社)などのドキュメントもあり、横溝正史の「八つ墓村」のモデルにもなった。(小説・八つ墓村では32人殺す事になっているが…)

この日本犯罪史上最も希有な大量殺人は、村社会という閉鎖的な空間により、発生させられたと言っても過言ではない。

犯人は自分を幼少より慈育してくれた祖母の首を大斧にて切断、更に猟銃と日本刀その他の凶器を携え、村内の民家11戸を襲い、僅か1時間で死者30名、重軽傷3名を出し、自らも現場付近で猟銃自殺を遂げた。

この事件の背景には、村内の女との性的関係、伝染病による差別、徴兵逃れからくる非国民扱いなどが犯人を追いつめていったと解釈されている。

戦後、明るみになるにつれ、この事件が与えた恐怖は、日本人の深層心理に深く刻み込まれた。

この事件は発生時期が戦時中という事もあり、大々的には報道されなかった。

ちなみに犯人の姉は、事件後も飲食店を現地付近で経営し、平成時代まで存命であった。

家族に対する差別がなかったのは、せめてもの救いである。

こうした事件や小説・映画が日本人の深層心理に、山村=陰惨、閉鎖的、事件という潜在的イメージを形成していった。

そして迎えたインターネット時代に、登場したのが「杉沢村伝説」であった。

「陰惨な大量殺人により、地図からも消されてしまった村があった。その村の入り口には、髑髏に似た石がある。或いは古びた鳥居が目印である」

こんな内容の噂が駆けめぐり、日本中のマニア、マスコミを巻き込んで大騒ぎとなった。

「この場所こそが、本当の杉沢村だ!」

「ついに、杉沢村の入り口の謎を発見した!!」

と多くの情報がよせられた。

日本中が金田一耕助となり、杉沢村捜索に借り出されてしまったのだ。

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