女の子がどこかに行ってしまう歌なら、他にも「赤い靴」がある。この歌は赤い靴を履いた女の子が異人さんに連れられて、海外に行ってしまう悲しい歌詞となっている。
だが実際にこの歌のモデルとなった女の子は日本で病気のためなくなっている。
この真相が明らかになったのは、昭和48年 (1973年)11月、北海道新聞の夕刊に岡そのさんという人が
「赤い靴の少女は、あった事のない私の姉である」
と投稿した事による。
この投稿に興味を覚えた北海道テレビの記者・菊池寛氏の調査により、その真相が明らかになった。
岡さんの両親は北海道の開拓地に入植する事になるが、困難な開拓地での生活を懸念し、3才の娘をアメリカ人宣教師の養子に出す。
だがその女の子は、渡米直前結核に倒れ、孤児院に預けられ、明治44年9月15日に死亡する。
この事を岡さんの両親は知らず、最後までアメリカで娘が幸せに暮らしていると思いこんでいたという。
なおこの話を岡さんの父親から聞いて歌を作ったのが、野口雨情である。
なんと「しゃぼん玉」に続き、「赤い靴の少女」も雨情の歌だったのだ。彼はよほど、少女の死に敏感であったのだろう。
現在、赤い靴の少女が死亡した孤児院のあった麻布十番には、赤い靴の女の子の銅像がある。
ある意味、都市伝説より事実の方が凄い事もあるようだ。