「あくまでも、これは都市伝説なんですよ」selさんは笑ってこの話を語る。
だが、この話を聞いた時、不快感ともアンバランス感ともいえる漠然とした心の不安を感じた。
これは私の経験上、現実に起こった怪異談に耳にしてしまった時に感じる“いやな胸騒ぎ”である。
つまり、言い知れぬ不安というやつである。
霊能者は、実際にあった怪談を聞いたり読んだりすると言い知れぬ不安を感じると言う。
特に筆者は霊感が強いというわけではないが、この話を構成する言霊に、妙なリアルさを感じずにはいられない。
静岡に居住していた当時、selさんは奇妙な話を聞いた。
それは伊豆の修善寺にまつわる不可解な事件に関する話である。
昭和末期の華やな頃、修善寺の某温泉宿の風呂場にて、小学生ぐらいの子供の遺体が発見された。
その子供は湯船でのぼせたまま死亡しており、体の大部分はやけどのようにただれているうえ、一部の皮膚が醜く水ぶくれとなっている悲惨な状態であった。
「なにっ!子供の遺体だって?ひょっとして宿泊客の子供が亡くなったのか。身元を確認しろ」
旅館は上へ下への大騒ぎとなり、支配人が従業員に指示を出した。
だが、宿泊客の子供たちは全員無事であったことが確認された。
つまり、該当する子供が宿泊者にいない。
「この子供はいったいどこの誰なんだ」
宿の経営者は必死にその子の身元を洗ったが、一向に手がかりは出てこない。
どこから来た子供なのか、何故死んだのか、全く手掛かりがない。
結局、警察も子供は外部から温泉に入り込み、そのまま死亡したと判断し、事件は強引に幕引きとされた。
その後、宿の経営者の好意で子供の遺体は荼毘に付された。
また子供に名前が無いのも不憫だということになり、修善寺で亡くなった子供なので“修ちゃん”と呼ばれた。
更に戒名には、待、叶、想という漢字が使用された。この3文字には、宿の人達のやさしい気持ちが秘められている。
漢字3文字の意味は、修ちゃんが成仏できるように“待つ”、修ちゃんの夢が“叶う”ように“想う”という意味であった。
しかし、その後怪異現象が頻発した。
修ちゃんに纏わる話をすると、修ちゃんがやってくるのだ。
修ちゃんをあっちの世界に返す為には、「待、叶う、想」と10回言わないといけない。
皆、震えながら繰り返す。
「まつ、かなう、そう。まつ、かなう、そう。まっかなうそう。まっかなうそう」
結局、最後は「真っ赤な嘘」となり終わる。
よくある言葉遊びの都市伝説であった。
しかし、この話…どうも妙である。
この話をする度に何かが背後に立つ気配がする。
ひょっとすると、前半の部分は実際にあった話なのかもしれない。