関西人にとって平成以降、最も心にダメージを受けた事件は、阪神・淡路大震災である。
悲劇から立ち直りつつあった頃に、関西のコミニティの中で、ある悪夢に関する不思議な都市伝説が語られたことがあった。
この現象は将来の日本社会において、防災という概念の重要性を忘れないで欲しいという人々の気持ちから生み出されたものなのであろうか。
福井さんは友人から奇妙な話を聞いた。
その体験談があまりにも異色であったので、ここに紹介しておこう。
震災という悪魔が過ぎ去り、数ケ月が過ぎた。
比較的損害の少なかった兵庫県のある地域で、とある若者が自宅の部屋でこたつに入っていた。
ふと窓を見ると…窓から友人が入ってくる。
驚いた若者は、笑いながら注意した。
「おいおい、なんやおまえ、窓から入ってくるやつがあるかいな」
友人も多少ボケながら切り返す。
「すまんすまん、ちょっと顔みたくなってな」
いつもどおりの関西人同士の会話である。
(…ん!?)
…だが何故か、なんともいえない“違和感”がある。
若者は友人と会話しながらも、この場に付きまとう奇妙な感覚に…ある種の戸惑いを隠せなかった。
(ああっ、そうだこいつ確か震災で亡くなったはずや。なんで目の前におんの?)
どう見ても目の前にいる友人は生きている。
すると、若者の気持ちが伝わってのであろうか、こたつの正面に座っている友人はこう言った。
「ああ、俺な、死んでんねん」
やはり、目の前でこたつに入っている友人は“死者”なのだ。
あまり怖いという感覚は無い。
むしろ、亡くなった友人に会えてうれしい気持ちになった。
二人はいろいろな話をしたが、友人は突如立ち上がるとこう言った。
「あかん、もう時間がない、いかなあかんのや」
そう言いながら別れを告げ、窓から出て行ってしまった。
「おい、もうちょっとゆっくりしていけや」
若者は窓から出て行った友人を追いかけたが、既に姿はなかった。
ふと遠くを見ると、数百人いや数千人の人々が足元に雲を引き起こしながら、歩いている。
よく見ると老若男女、様々な人がおり、中には僧侶の姿をした人も混じっている。
(こっ これは、震災で亡くなった人々の魂なのだろうか)
若者がそう思って見ていると、その亡霊の行列はゆっくりと移動していき、夜明けの空に消えていった。