硫黄島に民間人が入れないのは、今も日米の怨霊たちが戦争を続けているからだという。
硫黄島は自衛隊と米軍が共同で守備している。
自衛隊の隊員に旧日本軍の霊が憑依し、銃器を乱射した事件があった。
また、深夜になると亡霊たちが穴から出てきて突撃を繰り返す。
このように、今も怨霊たちが毎晩徘徊しているので、民間人は入れないし、かつての住民も帰還を認めなかったのである。
「硫黄島からの手紙」において、クリント・イーストウッドは、最初アメリカ版のみ監督を務めるつもりであり、日本版は日本人の監督がやればよいと思っていた。
だが、硫黄島に上陸した途端、日本の英霊に憑依され、日本版もとりたいと思うようになったと噂されている。
また、撮影中もクリント・イーストウッドの発言や指導が日本人っぽくなっていき、あの奇跡的な名作が完成したのである。
クリント・イーストウッド監督は硫黄島で、日本軍の英霊に憑依されて、日本びいきになってしまったのだろうか。
クリント・イーストウッド監督による大ヒット映画「硫黄島からの手紙」は、客観的な視点で作られた画期的な作品で、世界中で賞賛の声があがった。
同時に、この映画に関して不思議な話が語られているので、いくつか紹介しよう。
ちょうど映画が公開になった頃、硫黄島で不思議な出来事が起こった。
2006年12月11日の事である。
国土地理院は、地形調査中に判明した硫黄島における異常現象を発表した。
なんと1カ月間に地面が12.5cmも隆起したというのだ。
12cmも地面が隆起するなど、普通では考えられないことである。
この異常事態に関係者は驚きを隠せなかったという。
もしかすると、映画のヒットにより硫黄島に、世間の注目が集まり、地下に眠る人々も喜んでいるのかもしれない。
また、監督を務めたクリント・イーストウッドも硫黄島を訪れたことにより、英霊に憑依され、死者たちの代弁をしているのではないかと噂された。
その興味深い発言を再確認してみよう。
「私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。(中略)どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。 だから、この2本の映画は彼らに対する私のトリビュートなのです。日米双方の側の物語を伝えるこれらの映画を通して、両国が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができれば幸いです」(クリント・イーストウッド監督)
いかがであろうか。アメリカ人の発言とは思えないほどの入れ込みようである。
また、硫黄島には不思議な話がある。
島に入る場合は、例えナイフ一本でも、武器となる物を持って入ってはいけないのだという。
「週刊朝日」(昭和54年12月27日号)に丹波哲郎が証言している。
島は海上自衛隊60名、米軍30名で護られているが、彼らは一切武器を持っていないという。
何故なら、いまだに日本兵や米兵の怨霊がうろついており、その恐怖のあまり攻撃してしまい、同士討ちになってしまうことがあるからだ。
その為、彼らは丸腰であるという。
また、山口敏太郎の公式サイト「妖怪王」には、ある方より硫黄島の都市伝説が投稿された。
それは旧軍の幽霊についてである。
自衛隊員が深夜警備をしていると、いきなり旧日本軍の英霊が現れるという。
そして、敬礼するとこう言うのだ。
「貴隊の食料を分けていただきたい」
この言葉に恐怖を覚えながらも丁重に断ると、旧軍の兵隊は再び敬礼をして消えていくというのだ。
哀れな話だが彼らは今も戦争を続けているのだ。
また「恐怖の世界心霊ミステリー」(にちぶん文庫 平成5年4月25日)には硫黄島で幽霊の出るスポットを2つ指摘している。
ひとつめは飛行場を横切っていくと見える、旧日本軍の高射砲の残骸であるという。
ここでたまに日本軍の英霊を目撃できるらしい。
霊が出てくる前兆として、気温が急激に下がり、手足が痺れ、耐え難い悪臭が漂ってくる。
ふと正面の高射砲を見ると、完成したばかりのように新品になり、旧日本兵たちが何やら大声で作業しているのが見える。
そして、悪臭が消えたと思うと、旧日本兵たちの姿は消え、高射砲も元の錆びた鉄の塊に戻っているらしい。
もう一箇所は、1500mほど下がった窪地のような場所に、一機だけ残されているゼロ戦があるのだが、この尾翼部分に後姿の日本兵が出るといわれている。
この場所も霊が見えている間は、耐え難い悪臭が漂うとされている。