池袋に四面塔という奇妙な名前の史跡がある。
塔と言っても巨大な建造物があるわけではない。
その場所を訪れてみると隣り合う2つの祠が建てられており、片方の祠には本尊となる法華経のお題目が記された石塔があり、もう一方の祠には稲荷が奉られている。
四面塔があるのは、池袋駅から徒歩で10分もかからない池袋東口駅前公園の一角である。
この四面塔が建てられたのは八代将軍・吉宗の治世下の頃であるという。
つまり、約290年間にわたり、四面塔はこの地に存在し続けて来たのだ。
だが、新宿・渋谷と並び、3大副都心とも呼ばれる池袋の、それも駅から目と鼻の先の位置関係にある一等地とも呼べる場所に、このような史跡が存在し続けているのは、奇妙な話にも思える。
取り壊しなどの憂き目にあっても不思議ではない場所に、なぜ四面塔は残り続けたのだろうか。
これには四面塔が建てられた経緯やその後の歴史が多いに関係しているのである。
四面塔が建てられた290年前は、年号で言えば享保にあたるが、この頃、当地は街道となっていた。
だが、この街道、普通の街道ではなかった。
夕方以降になると土地の人間は誰も歩かない、恐れられた場所であった。
そこでは凶悪な通り魔や辻斬りが横行し、相当な数の人間が殺されていたのである。
ひどい時は一晩のうちに17人もの人間が殺され、その無惨な死骸が街道に転がされていたのだという。
この卑劣な殺人行為で犠牲になった魂を鎮める為に、地元住民が寺の僧侶にお願いし、この四面塔が建立されたと言われている。
それ以来この場所で凶行が行われることは無くなったのだという。
この話が本当だとすれば、ここで通り魔や辻斬りが横行したのは、怨霊的な力が関係していたということなのだろうか。
なにはともあれ、こうしてこの場所は平穏を取り戻したわけだが、その後の歴史の中で、この場所では度々不可解な事件が起きることになる。
実は四面塔は、近代になって2度ほど移設されている。
1度目は明治時代、四面塔があった場所に鉄道の線路が敷設されることになり、駅前に移設されることになったのだ。
しかし、ここで怪異が起きる。移設事業に携わった人間たちの不審死が頻発したのだ。
四面塔が建立された経緯的にも移設は無理があったのではないかとして、当地ではそれ以来、霊を鎮めるための祭りが行われるようになった。
時は移り、戦後の復興期に、四面塔がある場所にデパートが建つ計画が持ちあがる。
四面塔は再び移設されることになるのだが、デパートを出店した会社は業績が悪化し、デパートも閉鎖されることになってしまう。
その後、デパートを主有していた会社は現在のパルコが引き継ぐことになったが、四面塔は大切に扱われ、いまだにパルコでは四面塔への毎月のお参りを欠かさないのだという。
時は経て平成の世となり、四面塔が建てられた由来と関連するような事件が起きる。1999年に起きた「池袋通り魔事件」である。
四面塔と同じく池袋駅東口に位置する東急ハンズの前で、岡山から出てきた青年が10名の男女に包丁とハンマーで襲いかかったのだ。
結局、2名の死亡者と6名の重軽傷者を生む事件となってしまった。
さらにこの事件のわずか3週間後に、下関駅で池袋と同様の通り魔事件が起きる。
35歳の男が車で駅に突っ込み7名をはね、それだけでは飽き足らず、犯人の男は持っていた包丁で7名に斬りかかったのだ。
この事件では5名が亡くなり、10名の負傷者を生んだが、似たような通り魔事件が連続して起きたことで、日本中が騒然となった。
この事件の犯人は逮捕されたあと、直前に起きた池袋の事件から影響を受けたことを口にしており、これら一連の通り魔事件と四面塔の関連が噂されるようになったのである。
以前、東京の結界について紹介したことがあるが、その際に結界が弱まっているとする話を紹介した。
もしかしたら、この四面塔もそんな弱体化してしまった結界の一つなのかもしれない。