千葉県、房総半島の東沿岸部には、「おせんころがし」と呼ばれる崖がある。
高さは百数十メートル。ひとたび足をすべらせると、真逆さまに下まで転落してしまうような、急峻で危険な斜面を有する崖である。
全長は数kmに及び、古くから交通の難所として知られた場所であるが、ここは女性の幽霊が出没し、写真を撮れば霊の姿が写る、訪れるだけで体調を崩す人もいるという、いわくつきの場所としても知られている。
「おせんころがし」がそのようないわくを持つようになったのは、一説にはこの地で起きた事件のせいだとも言われている。
1951年の10月10日、行方不明になった夫を探すため、3人の子供を連れた女性が勝浦の駅を降りた。
すると、親切そうな男が声をかけてきて、案内してくれるという。
男は4人を「おせんころがし」に連れて行くと、本性を現した。
子どもたちを次々と崖から投げ落とすと、女性に乱暴し、絞殺したうえで女性の遺体も崖に投げ落とした。
この男、栗田源蔵は同じように女性を毒牙にかける犯罪を次々と繰り返してきた連続殺人犯で、のちに別の事件で逮捕された。
2つの裁判それぞれで死刑判決が出され、ひとりの人間が2度の死刑判決を受けたはじめての事例となった。
国会で死刑制度の存続について議論がなされた際に、その必要性を論じるために引き合いに出されるほどの犯罪者であり、本事件は「おせんごろし殺人事件」とよばれ、戦後の事件史においてもその非道さで特筆される事件であった。
こうしたあまりにもむごたらしい事件が起きた土地柄が魔を呼ぶのか、「おせんころがし」で自殺する人間はあとを絶たず、自殺の名所としても知られるようになった。
非道な殺人事件と自殺がたびたび起きる土地であったことが、前述したような怪異を生んだとも考えられるのだ。
本来、「おせんころがし」は世の無常さを想起させるような場所ではなく、むしろ逆の性格を持つ伝説が語られていた土地であった。
この地には、昔おせんという若い娘がいた。
彼女の父はこの一帯を治める豪族だったが、村人に重い年貢を科して厳しく取り立てていた。
彼女は重税に苦しむ村人の事も、強欲な父親のことも憂えていたが、ついにある時、村人達は彼女の父親を殺すことを決意する。
父親をす巻きにして崖の上から突き落とそうとしているのを知った彼女は、どうやってか隙を見て父親と入れ替わり、崖の上から突き落とされてしまった。
翌朝になってようやくその事実を知った領民達は悲しみ、また強欲だった父も心を入れ替えた。
そして、彼女の供養のために地蔵尊を建てて大切に供養したという。
「おせんころがし」という地名は、この伝説に由来する。
他にも「病弱な父のため、薬草を採りに行ったおせんが、過って転げ落ちてしまった」、「美しい娘だったおせんを取り合い、競争をした若者2人が共に命を落とす結果となり、悲観したおせんは自ら身を投げた」など、様々な話が伝わっている。
このように「おせんころがし」は、本来は人をいたわる心を持った女性の伝説が残される土地だったのだ。
無惨な事件や繰り返される死は、被害者や遺族など関係者の人生を狂わすだけでなく、その土地が持つ性格すらも変えてしまうのである。